
本校OBの森闘志也さんが、東日本大震災の時に津波から多くの市民を救出しました。

(明戸中学校の玄関付近にTシャツが展示してあります)
森 闘志也(もり としや)さん
深谷市立明戸中学校ラグビー部卒
埼工大深谷高校(高校ジャパン選出)
釜石SWのセンターとして活躍しました。現在は工程業務グループに所属し、釜石港の輸送管理センターで荷役管理を担当しています。
3月11日の東日本大震災の時に多くの市民を救助しました。その時の様子について森さんが話してくれました。
津波の激しさに「自分も逃げなくちゃ」と考えたけれど、車に乗っている人を見たら反射的に体が動いていました。
「目の前で死にかけている人がいるのに放っておけないでしょ」
「降りて、逃げろっ!」 そう叫びながら交差点付近の車に近寄っていきました。
運転手は水圧でドアを開けられない状態でした。
フロントガラスを素手で割ろうとしましたが割れなかった。横のドアに気付き右こぶしで突いたら、ガラスが割れました。ドアを開け、中にいた家族5人を救出しました。
「ガラスの割れた時の衝撃は忘れてないです。そんなに痛くはなかったです。アドレナリンが出ていたからでしょ。ラグビーのほうが痛いんじゃないっすか」
ある瞬間、自分の体が濁流にのみ込まれました。どこに流されているのかわからなかったけど、瓦礫やボンベなどが背中にぶつかったのはおぼえています。
「明るいほうが上だとわかっていました。その後、川との境のフェンスに当たったのは鮮明に覚えています」
本当に九死に一生を得たと思いました。フェンスがなかったらぼくの人生もサヨナラでした。
その後も救出活動を続けました。
水が冷たかったです。自分の手の感覚がなくなる手でロープを握り、十数人の命は助けました。気がついたときには、体が凍傷みたいに真っ赤になっていました。
あのときの手の感触、引き上げる瞬間の衣服の重さはいまでも忘れられません。